メンヘラこじらせ日記

メンヘラをこじらせ、10数年の者のポジティブ&ネガティブな日記

何で……

何であの頃の記憶が今にも昨日の事のように思い出すんだろう。
いっぱいイヤな事もあった。
でもどれもそんな事があったから今生きてるんだって思う。
でもまたあの頃に戻ってしまったらどうしたらいいんだろう。
思い出すと最悪な中学校生活があった…そんな生活の中で唯一支えてくれてた人がいた。
それが今までのブログでも日記では公開してこなかった人…それはおばあちゃんでした。
中学3年の頃におばあちゃんは、私がぐ犯少年(犯罪を起こす可能性がある)として家庭裁判所から少年鑑別所送致をされました。
鑑別所に入ってから2日目におばあちゃんが面会に来てくれました、その時にお母さんからの手紙を渡してくれたんだけど、監視員の人が「その場で読むのはよろしいですが、自室に持ち込むのは無理ですから郵送で送ってくるのなら自室で持ち込んでもよろしいです。」と言われたので、私の所に手紙が届いたのは翌日の午後でした。
それから2週間経ち鑑別所で精神状態の悪化の為に早めに審判の日が決まり、家庭裁判所で精神科の女性閉鎖病棟に入院と審判が決まりました。
中学の卒業式間近になり、私は退院しました。
そして、私の入院中におばあちゃんは市内の総合病院で闘病生活の末の2008年8月6日朝早くにお母さんの見守る中静に息を引き取り天国へと飛び立ちました。
おばあちゃんの遺体を火葬した時の出来事です。
私と従兄弟は一緒に見ました。
火葬場で駐車場に1匹の綺麗な蝶が飛んでいたのです、私達2人はその蝶を見て言いました。
「綺麗な蝶やね、まるでおばあちゃんが蝶になって飛んでいるみたいだね。」と二人で言っていた時にみんながその蝶を見に来ました。
「おばあちゃん、蝶になったんだね。」「蝶になって身体が自由になったよ。」と親戚の方々が言っていたのを今でも思い出します。
それからまもなくその年の12月の半ばに精神病院から退院して、それからは自宅からクリニックへと、通院していました。
昨年の6月末まで自宅で通院生活でいたのですが、自殺未遂を何回も繰り返していて再びその日から精神病院に入院となりました。
長期の入院になった為に入院中に主治医の院長が定年退職をして主治医が代わり、今年2010年9月14日に無事に精神が安定した為に退院してきました。
辛かった…昔を思い出す事が。
悲しかった…おばあちゃんが亡くなった事を知るのが…。
思い出すのがイヤだった…自傷行為を始めたのを…。
いっその事消えた方がいいと…思ってしまうのです…。
怒られるかなぁ…おばあちゃんの元に会いに行ったら…。
会いたいなぁ…おばあちゃんに…。
喋りたいなぁ…いっぱいおばあちゃんと…。
おばあちゃんに会いたい。